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本の紹介5『八月十五日の神話』

八月十五日の神話 終戦記念日のメディア学 ちくま新書 (544)八月十五日の神話 終戦記念日のメディア学 ちくま新書 (544)
(2005/07/06)
佐藤 卓己

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今回は佐藤卓己『八月十五日の神話』(ちくま新書、2005年)です。

夏になれば高校野球、ヒロシマ・ナガサキの日とともにやってくる「終戦記念日」。
日本国民は先の大戦の悲惨さや前の政府である大日本帝国の愚行に想いを馳せるわけですが、この八月十五日がなんの日なのかを真剣に考えている日本人はほとんどいないと思われます。

数年前にもここで書きましたが、国民は皆、この日に戦争が終わったと認識していますが、全くの間違いです。

事実として正確には「昭和天皇が無条件降伏を決定して停戦を命令し、そのことを国民に向けてラジオ放送した日」です。

引揚者の給付金に関する法律では8月15日を「終戦日」と呼んでいますが、「終戦記念日」の法的根拠としては1963年の閣議決定による「全国戦没者追悼式実施要項」であり、正式名称「戦没者を追悼し平和を祈念する日」は1982年の閣議決定があるだけで、この日が「終戦記念日」として知られているのは、戦後の政府とメディアの意識的な心情と記憶の操作が行われた結果に過ぎません。

事実、高校教科書では、降伏文書に調印した9月2日を「終戦日」としており、客観的にはそれが正確です。

なぜ、このような事態に陥っているのかを本書は敗戦直前から戦後の日本の独立への道のりと併せて分析しています。
そこには、歴史を政治化していく思惑がみてとられますし、そもそも、日本人が敗戦を直視できるだけの理論的な精神を持ち得ていないことが問題であることが明白になります。

もちろん、国民として8月15日は意味のある日ですが、9月2日の方をより大きく報道し、「終戦(敗戦)の日」として戦争のことを考えるのが、戦後を生きる日本国民として当然のことでしょう。
これでは、日本人の歴史認識を問題にされても文句はいえません。

憲法改正云々を行う前に、「終戦記念日」の問題を片付ける方が先決だと思うんですが・・・
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本の紹介『進化の存在証明』

進化の存在証明進化の存在証明
(2009/11/20)
リチャード・ドーキンス、Richard Dawkins 他

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今回、ご紹介する本はリチャード・ドーキンス『進化の存在証明』です。

よく言われることですが、アメリカ合衆国の国民の40%が未だに進化論を認めず、天地創造の神話を鵜呑みにして信じているのです。
日本の進化論支持は80%を越えるようですが、それでも20%弱は未だに基本的な知識が欠損しているといえます。
こうした現状に対して、進化が如何に科学的で現実的かを説いたものが本書です。
身近な犬はもちろん、野菜や果物もほとんどが何らかの品種改良を経て、現在の我々の眼前に存在しているのです。地球上の生命が始まりのときから現在の姿で存在していたなど、少し考えれば全くのデタラメであることはわかることなのです。
ところが、頑迷で低能な一部の宗教者は自らの不勉強を棚に上げ、進化論を攻撃するのです。
ケンタッキー州には「創造博物館」があり、そこでは恐竜と人間が共存していたと教えているのだそうです。
アメリカは他国に民主主義を教える前に、自国民にきちんと進化論を徹底させるべきでしょう。

そして、進化は現在も進行している事象なのです。

現在の進化論が全て正しいわけではありませんが、進化してきたことは動かしようのない事実なのです。
とりあえず、すべての宗教者はこのことを学習して認め、信徒の無知蒙昧さを取り払う義務があるでしょう。
少なくともそうした行動は、無意味な宗教間紛争の火種の一つを消していくことになると思います。
共通認識をもつことが集団における争いの回避への一歩なのですから。

本の紹介・日本人の誕生

日本人の誕生―人類はるかなる旅 (歴史文化ライブラリー)日本人の誕生―人類はるかなる旅 (歴史文化ライブラリー)
(1996/11)
埴原 和郎

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今回は埴原和郎『日本人の誕生―人類はるかなる旅―』(吉川弘文館、1996年)です。

著者は冒頭で次のように書いています。
「日本人は単独で生まれ、進化してきたのではない。こんにち日本人と呼ばれる集団が存在しているという事実は、数十億年にわたる生物進化の帰結であり、さらに身近に考えれば哺乳類、霊長類、そして人類の進化の歴史を背景としている。」
この言葉通り、本書は半分が人類誕生とその後に関する記述で占められます。
さて、「日本人」と言った場合にその意味はいくつかの要素から構成されます。特に「民族」と「人種」の混用は混乱を招く恐れがあります。
そこで著者は「民族」について「共通の文化によって結ばれ、『われわれ意識』をもつ人間のグループ」と規定し、「人種」については「共通の遺伝的特徴によって他と区別される人間の集まり」と規定します。また、この二つは必ずしも一致せず、「民族の血統」とか「純血民族」という言葉の矛盾も指摘します。
しかし、その「人種」自体に問題があることも述べていて、厳密な分別は不可能であり、ベネディクトの言うような人種の優劣を運命づけるドグマの存在も無視できません。そこで、本書では「人種」の代わりに「集団」という中立的な言葉を使用しています。

本書の前半は人類誕生が丁寧に説明されており、「進化は偶然の産物」であることを自覚せざるを得なくなります。続いて、人類の進化の複数のルートを辿り、人類が単一のコースではなく、複数のコースで何度も拡散しながら先着民との混血を経て全世界に広がったことが述べられます。
後半には主題となる日本人の形成について語られ、氷河期に南シナ海にあったスンダランドで形成された新人段階の原アジア尽の一部が北上して縄文人になったことが説明されます。その後、紀元前300年頃から大陸からの亡命難民が西日本を中心に広がっていき、その混血の結果が弥生人となります。
著者は現在の日本人がこの在来系(東南アジア系)と渡来系(北アジア系)との混血による二重構造だとします。そして、全国的に混血していることでは日本は一つの傾向があるが、混血の度合いで地域差が多様であるとしています。つまり、おのずと文化に関わる概念である「民族」も複数存在することになります。

「二重構造」という規定には議論の余地がありますが、現実の集団は境界も明確でなく、相互依存的で流動的である、という主張は容易に事実であると理解できます。
また、古今東西にわたって描くダイナミズムはその快さ故に緻密な批判をうけますが、無知蒙昧な政治家による幼稚な保守傾向にある現在の日本には必要な快さでしょう。
かつて「悠久の民族」として、戦後に一般化した「単一民族神話」がいかに空虚であり、人種偏見や差別がいかに根拠のないことかを知識としてのみならず実感することができます。

「単一民族神話」については、小熊英二『単一民族神話の起源』(新曜社、1995年)に詳しいので、そちらを参照下さい(そのうち紹介するかもしれませんが)。

本の紹介2『オオカミ少女はいなかった』

オオカミ少女はいなかった 心理学の神話をめぐる冒険オオカミ少女はいなかった 心理学の神話をめぐる冒険
(2008/10/03)
鈴木 光太郎

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今回は鈴木光太郎『オオカミ少女はいなかった』(新曜社、2008年)です。
まず、第一章では、有名なオオカミに育てられた少女アマラとカマラの話を取り上げ、この話が作り話だったことを明らかにしています。
「オオカミ少女」の話では、ヒトが人になるためには幼児期の環境が決定的な重要性をもつ、ということになっておりますが、この話自体がどうも怪しいのです。二人らしき少女がいたことは事実のようなのですが、原史料にあたってみると、その行動記録には矛盾点が多いことが明らかになります。二人は木に登ったのですが、オオカミは木に登らない、オオカミのように目が暗闇で青白く発光したとされますが、人間の目は生物学的に眼底反射しない、など創作をしたとしか考えられない記述が多すぎるのです。
ところが、資料を真に受けた当時の大物発達心理学者がアメリカに紹介したために、世界中が実話だと信じ込んでしまったという経緯まで明らかになっていきます。

他にも、映画にサブリミナル画像を挿入したらコカコーラの売り上げが倍増したという実験も嘘だという話も挙げられています。この話が虚偽だったことは一時、よく言われたのですが、いまだにビジネス書やセミナーなどで恥ずかしげもなく引用されています。このサブリミナル効果の基になった「実験」なるものも実は行われておらず、「オオカミ少女」よりも悪質なデマといってよいでしょう。ところが、この嘘の実験結果に影響されたのか、日本や米国ではテレビ局がサブリミナル映像を放映することを禁止しています。

こうしたウソ・神話がなぜ当たり前のようにまかり通るのでしょうか。
それは人がなにか特殊な事象を見つけ出したとき、そこに因果関係をもとめるものだからなのです。しかし、その際に緻密な実証を行えば良いのですが、中途半端な実証では答えが見つかりません。そのため、あたかも本当のような答えに結びつくような実験や観察を行うのです。
こうした現象は心理学や社会学に多く認められます。統計結果をさも客観的事実のように持ち出してくる社会学は、ギリギリセーフの詐欺行為と言っても過言ではないでしょう。なぜなら、「統計をとる」場合にすでになんらかのバイアスがかかっているのです。そのことを自覚している研究者は良いのですが、かなり多くの社会学者は統計結果がなんらバイアスのかかっていない、事実だと思いこんでいるのです。
心理学者も同様で、実験には実験者の意志が大きく働いています。

こうした「神話」を次々に打ち破る本書は爽快な書物であり、実証的研究者のみならず、一般の人にもお勧めです。

本の紹介もしてみる

よくよく考えると、本を読み研究する仕事をしているのに、本の紹介をしないのもなんだか変なので、あまり専門的にならない程度(といっても多少は専門的にならざるをえないけれど)で気に入った書籍を紹介していこうと思います。
ナショナリズム―1890ー1940 (ヨーロッパ史入門)ナショナリズム―1890ー1940 (ヨーロッパ史入門)
(2009/08/27)
オリヴァー・ジマー

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今回はオリヴァー・ジマー著『ナショナリズム 1890-1940』(岩波書店、2009年)です。

近年、ナショナリズムはあらゆるところで問題定義され、論じられ、道具となっています。
しかし、ナショナリズムやその前提となるネイション(国家・民族)という意識の具体的な起源や契機については未だに議論の途上なのです。
本書はヨーロッパ史を専門とする著者が歴史学の立場からこれまでのナショナリズム論を整理し、論の整合性を提示しています。近代以前にナショナリズムの萌芽が見られながら、フランス革命後に構築され、第一次大戦後の境界意識からネイションとして強く意識され、現在問題になるような狭義のナショナリズムが生まれたとしています。
特にファシズムの成立については、第四章の「粗暴化した故国ナショナリズム」がこれまでの論説を明確に分析し、読後の納得感が充実していると個人的に思います。
いわゆる「国民国家」についての論及が不足しており、そこが難点ではありますが、「ヨーロッパ史入門」シリーズの中でも良い出来ではないかと思います。
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